【140話】万葉の歌と植物(アセビ)

壱 磯(いそ)の上に生ふる馬酔木(あせび)を手折らめど見すべき君が在りといわなくに 《万葉集巻一の一六六 大伯皇女》 万葉の中で咲くアセビの花は悲しい花です。大津皇子の無念とその姉大伯(おおく)皇女の悲歎が伝わってくる花の白さです。 天武天皇の世。天皇に鸕野讃良(うののさらら)皇女(のちの持統天皇)との間に草壁皇子、 大田皇女との間に大津皇子がありました。これらの皇女は共に天武天皇の兄 天智天皇の娘たちであり、その子供である二人の皇子は皇位継承者としての 資格と資質を十分に備えていました。ただ、草壁皇子が病気がちなのに較べ て、一歳下ですが大津皇子の文武に卓越した才能が宮中で華やかに咲いて、 天皇の寵愛を一身に受けていました。 しかし、大津皇子の母が若くして死んだのに較べ、草壁皇子の母は、天武 天皇と共に壬申の乱を戦い抜き、皇后としてもその力を十分に発揮していま したので、皇太子には草壁皇子が選ばれました。 時に六八六年九月九日、天武天皇が崩御されますと、歴史は翳りをもって 足早に進みます。天皇亡き九月二十四日頃、大津皇子は伊勢神宮の斎宮とし て仕える姉大伯皇女を訪ねます。皇子の伊勢行きが神の神意を問うことと、自分の本当の心の内を信愛の姉に聞いてもらうことにあったのでしょう。それを聞いた大伯皇女に驚き、苦しみ、悲しみが一度に訪れます。そして、弟を大和に帰らせます。その時、皇女は姉弟の別離の悲しみ以上の、特別な感情をいたかせる歌を二首うたいます。 我が背子を大和に遣るとさ夜深けて暁露にわが立ち濡れし 《巻二の一〇五》 二人行けど行き過ぎ難き秋山をいかにか君が独り超ゆらむ 《巻二の一〇六》 幼くして母を亡くしている二人にとって、その親愛の情はなみなみならないものがあったのでしょう。弟の前の定められた運命をどうすることもできず見送った皇女の苦悩が伝わってきます。 十月二日。大津皇子の謀叛が発覚します。翌日には、はやくも処刑が行われます。この事態は皇后の謀ともとられています。大津皇子、齢わずかに二十四歳の生涯でした。 大津皇子刑死の後、大伯皇女は任が解けて都へ帰ってきます。生きる術をなくしたかのように重い足取りで皇女は歌い...