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【140話】万葉の歌と植物(アセビ)

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                              壱    磯(いそ)の上に生ふる馬酔木(あせび)を手折らめど見すべき君が在りといわなくに                              《万葉集巻一の一六六 大伯皇女》  万葉の中で咲くアセビの花は悲しい花です。大津皇子の無念とその姉大伯(おおく)皇女の悲歎が伝わってくる花の白さです。  天武天皇の世。天皇に鸕野讃良(うののさらら)皇女(のちの持統天皇)との間に草壁皇子、 大田皇女との間に大津皇子がありました。これらの皇女は共に天武天皇の兄 天智天皇の娘たちであり、その子供である二人の皇子は皇位継承者としての 資格と資質を十分に備えていました。ただ、草壁皇子が病気がちなのに較べ て、一歳下ですが大津皇子の文武に卓越した才能が宮中で華やかに咲いて、 天皇の寵愛を一身に受けていました。  しかし、大津皇子の母が若くして死んだのに較べ、草壁皇子の母は、天武 天皇と共に壬申の乱を戦い抜き、皇后としてもその力を十分に発揮していま したので、皇太子には草壁皇子が選ばれました。  時に六八六年九月九日、天武天皇が崩御されますと、歴史は翳りをもって 足早に進みます。天皇亡き九月二十四日頃、大津皇子は伊勢神宮の斎宮とし て仕える姉大伯皇女を訪ねます。皇子の伊勢行きが神の神意を問うことと、自分の本当の心の内を信愛の姉に聞いてもらうことにあったのでしょう。それを聞いた大伯皇女に驚き、苦しみ、悲しみが一度に訪れます。そして、弟を大和に帰らせます。その時、皇女は姉弟の別離の悲しみ以上の、特別な感情をいたかせる歌を二首うたいます。   我が背子を大和に遣るとさ夜深けて暁露にわが立ち濡れし 《巻二の一〇五》   二人行けど行き過ぎ難き秋山をいかにか君が独り超ゆらむ 《巻二の一〇六》  幼くして母を亡くしている二人にとって、その親愛の情はなみなみならないものがあったのでしょう。弟の前の定められた運命をどうすることもできず見送った皇女の苦悩が伝わってきます。  十月二日。大津皇子の謀叛が発覚します。翌日には、はやくも処刑が行われます。この事態は皇后の謀ともとられています。大津皇子、齢わずかに二十四歳の生涯でした。  大津皇子刑死の後、大伯皇女は任が解けて都へ帰ってきます。生きる術をなくしたかのように重い足取りで皇女は歌い...

【139話】万葉の歌と植物(オオイヌノフグリとヘクソカズラ)

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          オオイヌノフグリの花と果実            ヘクソカズラ  大荒れ冬だったせいか、春の訪れにほっとした安らぎを感じます。道端にコバルトブルーのオオイヌノフグリが星を散りばめたように咲きだすとサンシュユ、コブシ、ユキヤナギといった木々の花々が勢揃いを始めます。  可憐な花に似つかわずオオイヌノフグリ(大犬の陰嚢)といったきわどい名前は果実の形から名付けられたもので植物にとって迷惑なことかもしれません。  同じような運命にある植物にヘクソカズラがあります。これは花の臭いからの命名で、別名サオトメバナと呼ばれ、万葉集にただ一首「皀莢(さいかち)に延(は)ひおほとれるくそかづら絶ゆることなく宮仕へせむ」とクソカズラが詠まれています。クソカズラ(糞蔓)からヘクソカズラへ(屁糞蔓)へと昇格?したのはずっと後の事になります。  万葉集でヘクソカズラを詠った歌は一首のみ       菎莢に 延ひおほとれる 屎葛  絶ゆることなく 宮仕へせむ    巻16-3855 高宮王  しかし、そんな事にはお構いなく、野辺にたくましく 生 き抜いているこれらの花たちは私にとっては一服の清涼剤です。

【138話】スイカズラ(春)生薬名:金銀花(キンギンカ)忍冬(ニンドウ)

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  スイカズラは全国いたるところに見られる常緑の蔓性植物です。管状の花を摘み、細いほうから吸うと甘い味がするので、スイカズラと呼ばれています。   晩秋に葉と茎を刻み、天日で乾燥させたものが、 生 薬の「忍冬」です。抗菌、抗炎症、鎮痙作用などが知られています。「忍冬」の名は、対 生 の葉が寒い冬にも枯れずに耐え忍ぶことからきています。 四月~五月ごろの花の時期に、できる限り蕾を摘み、風通しの良い日陰で乾燥したのが、 生 薬の「金銀花」です。金銀花は忍冬と同じ効き目があります。スイカズラの花は、咲き始めは白く、次第に黄色くなってきます。この白と黄色の花の取り合わせが、金銀花の名の由来です。 金銀花をホワイトリカーに漬け込んだのが「忍冬酒」と呼ば れ、利尿作用があることから、膀胱炎、腎疾患に飲まれるほか、強壮・強精作用 も期待されます。 奈良県大神神社では、毎年四月十八日に催される鎮花祭(薬まつり)の参列者 に、この「忍冬酒」が振舞われます。なお、スイカズラ(忍冬)は、俳句では初 夏の季語となっています。   忍冬二花づつのよき香り          高野  素十    紀伊見ゆる古き峠のすひはづら 高繁泰次郎

【137話】タンポポ(春)生薬名:蒲公英(ホコウエイ)

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     セイヨウタンポポ          カンサイタンポポ 「タンポポ」はタンポポの仲間の総称です。多くはユーラシア大陸に分布しています。なお、英名のダンディライオン( dandelion )は「ライオンの歯」を意味します。これはギザギザした葉がライオンの牙を連想させることに由来します。   日本には、カントウタンポポ、カンサイタンポポ、シロバナタンポポなどの在来種に加え、帰化種のセイヨウタンポポ、アカミノタンポポが見られます。この中で、特にセイヨウタンポポは日本各地の都市部を中心に勢力を伸ばしています。セイヨウタンポポは、頭状花序の外側にある緑色の総苞片が反転していることで他のタンポポと識別することができます。 生 薬としては、開花前の全草を天日乾燥したものを「蒲公英 (ホコウエイ)」、秋から早春までの地上部の活動がない時期に根を掘り取り乾燥したものを「蒲公英根」といい、共に健胃、解熱、強壮、利胆などの多くの目的で利用されています。  民間薬としては、催乳効果あるとされ、また、食毒を消し、乳腫 を治す働きがあるとされ用いられてきました。 漢方処方の「蒲公英湯」は、主薬の蒲公英に当帰、香附子、牡丹 皮、山薬を加えた処方ですが、乳腺の発育不全のものに用います。 食材としては、花を三杯酢に、全草をサラダに、根を乾燥後粉末 にし、よく炒って、ノンカフェインコーヒーとして飲まれています。

【136話】イカリソウ(春)生薬:淫羊藿(インヨウカク)

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              「イカリソウ」は「錨草」と書くように、その花は見事に錨に似た形をしています。また、「三枝九葉草」と呼ばれるのは、根茎から出る葉が先ず三本の葉柄に分かれ、それぞれに三枚の小葉をつけ、全部で9枚の葉をつけることから名づけられました。  イカリソウには、トキワイカリソウ、キバナイカリソウ、ウラジロイカリソウや花に距がないバイカイカリソウ、ホザキノイカリソウなど多くの仲間があります。   生 薬の淫羊藿は中国産のホザキノイカリソウの地上部の葉茎を乾燥したものですが、他のイカリソウも同様に使用します。  淫羊藿の名前の由来は、ホザキノイカリソウを食べた羊が一日に百回も交尾をするほど精力が強いことからきてい ます。 従って、淫羊藿は強壮、強精の目的で用いられます。 イカリソウの地上部には、イカリインという成分が含ま れていて、このイカリインを用いての動物実験では、精液 の分泌促進が確認されています。  また、淫羊藿は、神経衰弱、健忘症、慢性気管支炎、手 足のしびれ、更年期の高血圧症、小児麻痺症の治療に用い られます。  

【135話】レンギョウ(春) 生薬名:連翹(レンギョウ)

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             レンギョウは桜の咲く頃に、黄色い四弁花を咲かせるモクセイ科レンギョウ属の耐寒性落葉低木 です。 葉が出る前、または葉と同時に枝から花を咲かせます。雌ずいの花柱に長型と短型があり、同型では受粉が行われないことから実がなりません。公園などに植栽されているレンギョウは、挿し木等で繁殖させているものが多く、結実することはあまりありません。 薬用に使うレンギョウは種子を使うので、そのためには必ず両タイプのものを混栽する必要があります。 レンギョウの仲間にはシナレンギョウ、チョウセンレンギョウがあります。 レンギョウは別名レンギョウウツギ(連翹空木)と呼ばれるように、幹は空洞ですが、シナレンギョウ、チョウセンレンギョウには格子状の髄があり区別されます。 また、レンギョウ、シナレンギョウは枝が枝垂れますが、チョウセンレンギョウは垂直に立ち上がります。これらのレンギョウは渡来種ですが、日本原産のものに、ヤマトレンギョウ、ショウドシマレンギョウがあり、他のレンギョウに比べ開花時期が四月~五月と遅く咲きます。 生薬の連翹は、日本薬局方ではレンギョウまたはシナレンギョウの果実を用い、 解熱、消炎、利尿、排膿などを目的に、響声破笛丸、清上防風湯、銀翹解毒散な ど多くの漢方薬に配合されています。    俳句の季語でもある「連翹忌」は彫刻家・詩人の高村光太郎の命日 ( 四月二日) で、高村が 生 前好んだ花がレンギョウであり、彼の告別式で棺の上にその一枝が 置かれていたことに由来します。     行き過ぎてなお連翹の花盛り 中村汀女

【134話】猫の妙薬/マタタビ(木天寥) 

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                         もうかれこれ二十五年も経ったかと思いますが、ある動物用品の社長さんから、猫の「爪研ぎ器」を作るので、「マタタビ」の粉末を世話してほしいと頼まれたことがあります。  その機器は、細長い箱の中に、斜めに木の板が渡してあって、その上端にマタタビ入りの団子を置いておくだけの簡単なものなのですが、猫がマタタビを取ろうと板を駆け上がる時に、木を引っ掻き、爪を研ぐという代物でした。何とこれを五千台以上売ったというから驚きです。   「マタタビ」は、六月から七月に径二センチほどの白い花を咲かせるマタタビ科の蔓性の植物です。花をつける蔓の先端部の葉が花どきに白くなり、遠くからでもよく目立ち、送粉昆虫を誘い寄せるサインとなっています。  マタタビには、ネコ科の動物の大脳と延髄とをマヒさせ、恍惚とさせる中 性 のマタタビラクトンおよび塩基性のアクチニジンという成分が入っています。効果がてきめんなことを表わすのに「猫にまたたび、お女郎に小判」といわれるのは、このことからきています。この効果はネコ科であるライオンやトラにも当然当てはまります。   マタタビの実に、マタタビノアブラムシが卵を産みつけてできた虫瘤のいびつなものを木天寥(モクテンリョウ)と呼び、不老長寿の妙薬として珍重されてきました。  木天寥は、体を温め血行を良くし、強心、利尿作用があり ますので、冷え症や腰痛、リューマチ、神経痛などに用いま す。     ところで、この「またたび」という変わった名前の由来に   は古い言い伝えがあります。       昔、弘法大師が全国行脚をしておられたとき、道なき道の    険しい山中で難渋し、これ以上歩けなくなって、崩れるよう にその場に倒れこんでしまいました。ふと空を見上げますと   、木々に絡みついた蔓に、歪な実がなっているのが眼にとま りました。ひとつをもいで口に運んだところ、見る間に体の中から不思議な力が湧き起こってきて、また旅を続けられたといいます。    マタタビでもうひとつ不思議な経験があります。マタタビの白くなった葉を採取して、車のトランクに入れて帰り、しばらく、そのままにしていたの...

【133話】木の芽/アケビ(木通)

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         一般に「木の芽」といえば、「木の芽田楽」といった山椒の芽しか思い浮かばないのですが、木の芽は関東ではタラの芽で、越後の人はアケビの芽を思い出すかもしれません。  所変われば品変わるで、今までアケビについては、秋にみのる紫の実のことしか眼中になかったのですが、山菜関連の書物に、アケビの芽(木の芽)の料理法が載っていたので紹介します。  アケビの芽は生で食すのもよろしいが、さっと湯をかけ、おひたし、和えものにし、また、からし醤油でもおいしく、生 ( キ)醤油だけでもおいしくいただけます。それでも少し癖があると思う人には、少々塩を入れてうで、だしを使って醤油で味付けしたタレで食せばさらによい、とのことです。  秋の山歩きの楽しみのひとつは、疲れと喉の渇きを癒してくれる木の実に出会うこ とです。中でも、アケビの実を見つけたときは特にうれしくなります。  ふたつに割れた紫色の大きな 生 の果実の中に種子を包む甘い胎座があります。それを口 にほおばると、甘いものがなかった時代の思い出もよみがえり、なんだかほっとした 安らぎを感じるのです。  果皮は、ほろ苦さがありますが、内部にひき肉を詰めて油で揚げたり、刻んで味噌 炒めにするなどこちらは山菜料理として親しまれています。乾かしてから、もどして 食べる方がおいしいという人もおられますが、これは雪国の保存食で、天ぷらは美味 だそうです。  アケビの仲間は世界に20 品種 ほどあります。日本ではアケビ、ミツバアケビとその雑種であるゴヨウアケビがよく見られます。  和名のアケビの語源は、アケビの果実は熟すると割れて、中の果肉が見えるようになるので、「開け実」から転じてアケビになったとの説が一般的ですが、割れた実が人の「あくび」に似ていることから「アケビ」になったとの説もあります。    アケビの蔓は、「木通」又は「通草」といって、利尿、通経、消炎を目的として漢方の生薬として用いられています。アケビを表す漢字に「山女、山姫(ヤマメ、ヤマヒメ)」を当てることがあります。開いた実を女性の外陰部に喩えたもので、意味深な言葉です。ついでに、山女と書きますと、渓流の魚のヤマメをも意味しますが、こちらはヤマメの姿が女性的な美しさから名付けられています。   ...

【132話】万葉の歌と植物/雄略天皇と菜を摘む乙女

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                  万葉集は、 雄略 天皇 の次の歌で幕を開けます。        籠 もよ み 籠持 ち 掘 串 もよ み 掘 串持 ち     この 岳 に  菜採 ます 児   家聞 かな  告 らさね     そらみつ  大和 の 国 は     おしなべて われこそ 居 れ しきなべて われこそ 座 せ     われにこそは  告 らめ  家 をも 名 をも    籠は良い籠を持ち、へらも良いへらを持って、この丘で菜を摘んでいる娘よ あなたの家はどこですか   言っておくれよ この大和の国は全て私が治めているのです その私がここにいるのです   私には教えてくれるね おまえの家をも名前をも  この歌が詠まれたのは、奈良県桜井市にある 泊瀬朝倉宮 あたりとされています。この歌から雄略天皇の誇らしげな声が聞こえてくるのですが、私には、小高い丘陵に乙女がひとり、食材にする山菜か薬草を摘んでいる姿にほのぼのとした古代の 生 活が垣間見えてうれしくなるのです。    「身土不二」という言葉があります。私たちは、同じ土地に 生 きている動物や植物と共存していて、その土地で採れた食物を一番よい旬の季節に食することが、健康の理に適っているということです。   現代人は山野に出て野草を摘むことが少なくなってきました。 草木の芽生えに春を感じ、食卓に上がった若葉の味に英気をもらい、咲き出した花の色と香りに心の安らぎを覚える自然との付き合いは、ストレスに押しつぶされそうになっている現代人には必要なことかもしれません。    五月の中旬は、都会の中にあっても、ちょっとした空地や脇道は可愛げな花たちの楽園です。カラスノエンドウの横にはスズメノエンドウが寄り添い、時にはカスマグサ(カラスノエンドウとスズメノエンドウの間の草)までが隠れています。オオイヌノフグリにイヌノフグリとタチイヌノフグリが話しかけ、ハルジオンとヒメジョオンが私を主張すれば、シロツメグサとアカツメグサが立ち替わり入れ替わりの乱舞です。ずんぐりむっくりしたセイヨウタンポポの傍らには清楚なカンサイタンポポが佇んでいます。  これらおなじみの花たちの半分は近年海外から来た移住者ですが、それでも古来からの日本の花たちを万葉の...

【131話】三輪大社/鎮花祭と忍冬酒  

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             四月十八日、奈良の大神神社とその摂社の狭井神社で鎮花祭 があります。千数百年来続いている鎮花祭は古式豊かに執り行 われます。 春は花の飛び散る陽気な季節で、人間の気が一番ゆるむ時、それに乗じて精神と肉体に起こる病気の鎮圧を祈願したのが興りです。花粉症に苦しむ人にはありがたい祭式かもしれません。 大神神社の祭神である大物主命は酒の神としても親しまれていますが、一方では日本古代最大の祟り神にほかなりません。崇神天皇は疫病流行が大物主のなせる業と知り、大物主を祭ることで祟りを鎮めたことを記紀が伝えています。  鎮花祭の供物に、ご神体の三輪山に自 生 する忍冬(スイカズラ)と百合(ササユリの球根)があります。その忍冬を酒につけた忍冬酒が参列者に配られます。スイカズラの葉は冬にも枯れず、寒さにも耐えることから忍冬の名がありますが、初夏になると、はじめ白く、時がたつにつれて黄色くなり、白花黄花が入り乱れて咲くことから金銀花とも呼ばれています。そして、管状になった花を引き抜き、管の細いほうから吸うと、甘い味がするのでスイカズラの名が生まれました。忍冬酒は花と蕾を入れて造られ特有の甘い香りは素晴らしく、更に利尿作用があり、膀胱炎、腎臓病や強壮、強精にも効き目があります。

【130話】一杯のお茶 

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              成人病検診を受けました。その結果、胃部に陥凹性病変があるということで再検査することになりました。  陥凹性病変をネットで調べたら、胃ガン、胃潰瘍の疑いありということです。落ち込みました。 一杯のお茶が末期の水のように思えて、そういえば最近なんだかみぞおちのあたりが重苦しいし、脂っこい物に箸がいきません。  胃の運動を抑制する筋肉注射を打たれて、バリウムを飲まされ、右を向け、左を横にしろ、うつ伏せになれと、いろんな角度で撮影され、最後はこれでもかと言わんばっかりに、アームの先に付いた握り拳のような球体でぎゅーぎゅーと押さえつけられました。挙げ句の果て、ボールの上に全体重を乗せて撮影終了となりましたが、撮影中、技師と医師との会話が聞こえてきました。 「変やなあ」 「もういっぺん撮ろか」 「やはり違うで」  しばらく待たされて、診察室に呼ばれましたが、医者が首を傾げながらこう言います。  「長いこといろんな胃の写真見てきたけど、お宅のん変わってますなあ。幽門から十二指腸あたりに少し凹んだところがあって今回の再診になったんやけど、よう見ると最初の十二指腸部門が二つにくびれてますのや。」  「先生、それ問題だすか。」  「支障はないけど、これ本当に珍しいで。」  「ほなら、学会発表でもしはったらどうだす。」  「このフィルム貴重や。永久保存版や。」  「そんなことより、結局どうでんねん。」  「問題ありません。以前の胃潰瘍も自然治癒力で完全修復されてます。でも、珍しいなあ。」  「そうでっか。よかったわ。まだ遺言書いてないし、余生は珍しい十二指腸の所有者として、誇りを持って生きていきまっさ。」  ほっとした女房の顔を見て飲んだ一杯のお茶の美味しかったこと。健康って本当によろしいものですね。

【129話】古本に見つけた「生」の語源

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   時間があれば、よく古本屋に出かけます。今年も初出勤の日の帰りに立ち寄りました。いつものように、さりげなく眺めていると、水上静夫著の「漢字語源物語(からだと性の文字学)」が目に留まり、パラパラとページを捲っていくと、「生」の文字が飛び込んできました。これは、「生のブログ」を書いているものにとっては読むべき本と思い購入しました。  古本には新本と違った魅力があります。新本の新しいインクのにおいと比べると、カビ臭いシミのにおいがします。そして、いろんな過去が蘇ります。今回購入の定価二〇〇〇円のこの本は、一九八四年(昭和五十九年)八月二十日)発行の初版本です。古本は九八〇円でした。最初の購入者は八月二十九日に四日市市一番街の文化センター「白揚」で買い求めています。レシートが奥付に貼ってありました。本の下の部分を見ますと、結構黒くなっていて、何回も読まれた形跡があります。それにしても帯のついた表紙は汚れも少なく、カバーを付けたまま読まれていたのでしょう。二七六ページと二七七ページの間に 「志の使用の方法 P.276( 終 ) ~ P.277( 初)」と 落ちついた字のメモ書きがはさんであります。このうす緑のメモ書きはA4サイズを四枚に切り分けたもので、医院か薬局のチラシか何かの裏を使っています。「・・・が脳を圧迫」「・・・生理による・・・の為の節食」「・・・のご相談は」との文字が見えます。さらに、一九八三年日曜日の新聞記事の切り抜きがはさんであります。松村暎著「中国故事つれづれ草」の評論記事です。裏面記事に愛知県多郡武豊町の五八歳の主婦が金木犀の花が咲いたとの投稿記事があることから、九月から十月ごろの新聞ということになります。  以上のことから、三重県四日市市に在住の中国の古典に興味を持たれている非常に几帳面な性格の漢方薬局の薬剤師さんと推察しました。    さて、私といえば当時、四〇歳を出たばかりで、北海道から九州まで全国を漢方の講演と営業に回っていた時期でした。「歌は世に連れ、世は歌に連れ」と言われますが、当時の自分を振り返ると、はやっていた歌の記憶より、どんな本を読んでいたかの記憶のほうが確かです。今回のこの本との出会いは、全国を飛び回っていた時代を思い起こさせてくれました。  それでは、「漢字語源物語(からだと性の文字学)」から...

【128話】血液沸騰

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   かつて、中国の広西チワン族自治区の桂林を真夏に旅したことがあります。朝の天気予報で、北のハルピンから、北京、南京、上海、福州と二〇度半ばの気温が、三〇度を越し、桂林で四〇度との予想を聞いて、うんざりしました。ホテルから見える水田のそばで、けだるそうに水牛が水に浸かっていますし、木陰では農夫が畑を打つ手を休めています。中には、麦わら帽子を顔において朝寝の真最中の人もいて、こんなに暑くては仕事とどころではないことを実感しました。ただ、私には、この暑さでは朝寝もできませんでした。気温が体温を超えると血液が沸き立つようで、体調はおかしくなります。  以前、南太平洋諸島の植物調査に出かけた人がいました。海岸に出てみると、ヤシの木陰で人々はゴロゴロと寝そべり、たまに舟を出して、魚や貝を採り、食事が終われば、またゴロリと寝そべります。  こんなのんびりした生活もいいものだと思いながら、ジャングルのほうに目をやると、木に 葛 ( くず ) がからみついているのが見えました。そして、その根もとを掘ると立派な葛根(クズデンプン、生薬の原料)が掘り出せました。  早速に、島の役所に行き、時間を持て余している島人に葛根を掘らせ、産業化することを提言しました。これに対して、市の職員は微笑みながら、こう言いました。  「お話はありがたいのですが、彼らはのんびりしているわけではありません。自分たちに必要なだけの食料を調達し、あとは暑さを凌いで快適に暮らしてきた昔ながらの島の生活を観光客にお見せするための仕事をしているのです。」  地球温暖化が進んでいます。日本はもう以前の温帯地域ではありません。亜熱帯の様相を呈しています。これからの生活スタイルを考える時がきているようです。  

【127話】サクラ(春)生薬名:桜皮(オウヒ)  

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    我がコーポタウンの中庭に大きな桜の木が二本ありますが、毛虫が葉を食べるザクザクした音がうるさい、多くの糞が地面に落ちて汚い、落ち葉の清掃が大変、敷き詰めたレンガを根っこが持ち上げる、排水溝まで根が張って詰まるなどの理由で、昨年の五月に枝打ちをしました。今年は、いつものようにたわわに花が咲きそうにもありません。  昔から、桜の下には何かが住んでいるといわれ、「サクラ切るバカ、ウメ切らぬバカ」の諺もあるように、小さくなったサクラを少しさみしげに見上げています。   サクラは日本の国樹ですが、原産地はヒマラヤ近郊と考えられています。北半球の温帯に広範囲に分布し、日本にはかなり昔から、ヤマザクラ、オオシマザクラなどが固有種として自生をしています。  ソメイヨシノは、オオシマザクラとエドヒガン からできた自然雑種です。大型で生長が早いこと から、大抵の栽植はこのソメイヨシノです。江戸 時代の末期、江戸の植木屋染井によって、はじめ て売りに出されたことから、この命名があります が世界中のサクラの大半がこのソメイヨシノなの は驚きです。挿し木によって増やされました。  挿し木で増やされた木は兄弟ですから、サクラ ンボはなりません。  ソメイヨシノは花の時期と葉の出る時期が異なっていますが、ヤマザクラは花と若葉は同時に出てきます。  桜餅に包むサクラの葉にはクマリンが含まれています。クマリンは配糖体の形で多くの植物に含まれるポリフェノールの一種で、特有の香があるため香料として利用されるほか、医薬品(むくみ改善など)として使用されます。  また、樹皮を生薬の桜皮 ( オウヒ ) と呼び、鎮咳去痰剤として使用する ほか、世界で初めて乳がんの手術をした江戸時代の紀州の医師、華岡青 洲が創生した皮膚疾患の漢方薬「十味敗毒湯」に、解熱、収斂を目的に 配剤されています。