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【100話】新年明けましておめでとうございます

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   お正月の挨拶として「新年明けましておめでとうございます」がありますが、この挨拶の仕方は少し変で、間違っているのです。  「明けまして」には二つの意味があって、一つは「新しい」、もう一つは「終わって」との意味を持っています。  「新しい」の意味で見て身ますと、「新年」新しい年が新しくなって、と新しい重なってしまいます。  「終わって」にはこんな例があります。梅雨明け(梅雨が終わって)、盆明け(盆が終わって)、喪が明ける(喪が終わって)、夜明け(夜が終わって)などを見ますと、「新年明けまして」は「新年が終わって」となり、お目出度いとはいかないですね。  従って、正しくは「新年おめでとうございます」か「明けましておめでとうございます」になるのではないでしょうか。

【099話】スパイスと生薬

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   外国の人が「日本の食事は美味しい」と云われるのは塩の使い方の上手がひとつのようです。塩と砂糖の摂りすぎは身体に良くないとわかっていても、淡泊な味はもうひとつ敬遠してしまいます。そこで、それに代わるものとして、スパイスを使うことを考えてみるのも一考かと思われます。  スパイスには栄養素としてではなく、いろいろな身体の機能の改善や防御効果が知られています。これらをうまく食材に組み込めば健康食品のできあがりです。    スパイスの名前には別名があって混乱します。 いくつか例を挙げてみます。括弧の中が別名(生薬名)で す。  ジンジャー(生姜)、クローブ(丁字)、シ ナモン(桂皮)、フェンネル(茴香)、ガーリッ ク(大蒜)、ターメリック(鬱金)、マスタード (芥子)、 ローレル(月 桂樹)等々・・・ ジンジャー(生姜        クローブ(丁字)       シ ナモン(桂皮) フェンネル(茴香)      ガーリッ ク(大蒜)       ターメリック(鬱金) マスタード (芥子)       ローレル(月 桂樹)

【098話】阿斯必林(アスピリン)は漢方薬か?

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  漢方薬がブームだといわれ、多くの漢方製剤が発売され、中でもいくつかの漢方処方は数十億円と売り上げを伸ばしています。  さて、「石膏阿斯必林湯」という漢方処方がありますがお分かりでしょうか。「石膏阿斯必林湯」は「葛根湯」と同じように、風邪の初期に使います。「石膏」と「阿斯必林」の二成分からなる処方です。 風邪の症状には熱があっても悪寒を伴うことが多く、「葛根湯」や「桂枝湯」はその証を必要とします。しかし、中には悪寒が全くなく熱だけの症状の風邪も時には見受けられますが、その時の処方として「石膏阿斯必林湯」が準備されています。  それでは、「石膏」は分かるとして、「阿斯必林」とはなんなのでしょうか。実はアスピリンのことなのです。アスピリンが漢方成分とはおかしいのではないかとの疑問が 生 じますが、その使い方が漢薬的に見て処方するか西洋薬として処方するかなのです。 アスピリンを単なる解熱薬として考えるか、漢方的に「涼性で発散作用があり、外感の風熱の病気に服用すれば、涼しい汗を出させ治癒させる。内傷の熱にも使用できる。なお、発汗力は強いため、寒いときや寒い土地では少量用いる。内傷の熱は発汗しやすいので少量とする。」ことを考慮し処方すればアスピリンも漢方成分のひとつとなりえるわけです。 よく、 生 薬だけでつくられた処方が漢方薬か生薬製剤かどちらなのかを聞かれることがありますが、一つ一つの構成生薬がどのような目的と理論で配合したかにかかってきます。

【097話】衣食足って礼節を知らず  

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   昔から、「衣食足って礼節を知る」と言われています。食べることにガツガツしないで済むようになると、気持に余裕がでてきて、気分もゆったりとなり、ひとりでに礼節が身につくものだと考えられてきたのですが、現在の日本社会を眺めてみますと、衣食は十分すぎるほど足っているのに、モラルは低くなったように思い、どうも衣食と礼節には相関関係がないのではと疑問に感じます。  ただ、東洋では過去の長い歴史の中で、絶えず飢えとの共存を強いられてきたこともあって、桃源郷の必須項目に衣食の心配は無用との一行が必要であったと思われます。  一方、食が満たされた当世において、食事に対する喜びが薄らいできているのも事実です。動物たちが食事をする時のあの熱中ぶりを見ていると、うらやましくもほとほと感心させられます。確かに、現代人は今迄に増して忙しくなってきたのはわかるのですが、「ながら食事」について一言申し上げます。  テレビを見ながら、新聞を読みながら等の「ながら食事」は楽しいはずの食事に水を差すだけでなく、料理を造ってくれた人に失礼でもあります。そのうえ、体のことを考えてみても決してよくはありません。  食欲は視覚から始まるものです。見た目においしそうな料理は食欲がわきます。おいしさを眼で確認し、食べたい意欲を起こさせて、体に食事をとる準備をさせます。その次に、臭覚でにおい、唇、歯、舌の味覚、触覚で味わいます。暗闇での食事が味気ないのはこの第一段階を飛ばしているからで、テレビや新聞を見ながらの「ながら食事」はこのことと同じことをしているわけです。  ついでに申しますと、よくかんで食べよとの注意は、噛んでいるうちに唾液が出るだけでなく、胃では胃液の分泌の準備が始まり、食物受入れの臨戦態勢が整うからです。  またひとつ、気分を害しての食事は腸液の分泌が抑制されます。たとえば、叱られたとき、心配なとき、怒ったり悲しんだりしている時の食事は、なかなか食べ物が喉を通りません。身体が食べてはいけないと防御していますので、無理に食べると体によくはありません。  食品公害が云々され、食品添加物が悪いとか、 生 鮮食品や自然食品がよいといっても、楽しく食事ができなければ何にもならないので、このことが十分考慮できれば、健康な体に健全な精神が宿ることで、食足って礼節も知れようと思...

【096話】船場のことば

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   阪神淡路大震災で崩壊した北浜の「三越」跡に、日本で最も高いマンションが立てられました。当時の建設現場を廻る外壁に、船場言葉が書いてあって、そばを通る人たちの目を留めていました。   生 粋の船場言葉は普段あまり聞かれませんが、蒔岡家の四人姉妹 鶴子、幸子、雪子、妙子の繰り広げる谷崎潤一郎の「細雪」の世界がよみがえります。

【095話】世界の世界地図 

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       日本                     ヨーロッパ    アメリカ                  オーストラリア   海外を旅する機会に、その国で売られている世界地図を買い求めています。それぞれの国では、自分たちを世界の中心において見ることが便利でわかりやすい事から、世界地図も自国を中心に表されています。  日本は太平洋を中心に右にアメリカ大陸、ヨーロッパでは大西洋を中心に左にアメリカ大陸を、そしてアメリカではアメリカ大陸を中心にユーラシア大陸を二つに分けて、右にヨーロッパを、左にアジアを置いています。  また、オーストラリアでは南を上にした世界地図が通常のようです。この南北が逆転した地図を見ていますと、日本の置かれた新しい世界観が広がります。オセアニア、アセアン諸国から眺めた日本は沖縄・九州が玄関口に見えますし、このあたりに交易基盤を置くことは利便性が高いと考えられます。ここに、どでか いハブ空港を建設する事ができないものでしょうか。  それと南北逆さの世界地図では南アメリカ大陸やアフリカ大陸、インド半島などが尖った山に見え、安定した構図に思えてなりません。北は南から搾取し、南に犠牲を強いて繁栄してきましたが、これからは南の繁栄で 生 きていることが不可欠の時代となってきそうです。

【094話】牛(ウシ)の名の付く植物

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   新年にやってくる数百人の訪問者は、その訪問の仕方に個性があって、それぞれの人 生 が垣間見れて楽しいものです。   毎年、子供の写真を載せているものには、他人の子供ながら、その成長に目を細めます。家族の写真は一家の幸せがこちらにも伝わってくるようで、心が和みます。定番の印刷にひと筆添えた言葉は心の温かさを感じます。  近況を伝えるもの、こちらの安否を問うもの。何十年も年一度のお付き合いを続けていますと、短い一言に大きな意味が含まれていて、あれこれ考えを巡らすのも楽しいことです。  その中で、干支の名のついた植物を送られる方が数人おられます。 十 年前は私もその内の一人だったのですが、ふたまわりした段階で止めてしまいました。  今年の丑年には、「ウシハコベ」「牛蒡」「うしかば」の植物がお目見えです。  ウシハコベは、ハコベの外来種で、在来の日本のハコベよりも一回り大きく、都会の近辺はウシハコベが勢力を延ばしています。春の七草はセリ、ナズナ、ゴギョウ(ハハコグサ)、ハコベラ(ハコベ)、ホトケノザ(タビラコ)、スズナ(大根)、スズシロ(蕪)を指しますが、旧暦ではいざ知らず、現在の一月七日の七草粥に入れるのにはハコベは時期早々の感があります。ハコベは生薬名を繁縷(ハンロウ)と云って、利尿作用、浄血作用があるとされ、民間薬として用いられています。    牛蒡はキク科ゴボウ属ゴボウです。牛蒡の蒡は「丸い葉が両側に広がる葉」のこととされていますが、牛にはいくつかの説があって、一説には形が牛の尾に似ているため、また他説には単に大きい、の意とあります。  牛蒡の種子は牛蒡子といって、漢方では発汗、利尿薬として用いられています。  牛蒡は日本以外では食材にすることはなく、中国では薬材として、ヨーロッパでは若葉をサラダにします。  最近、オリゴ糖がふんだんに含まれているアンデスの根菜「ヤーコン」が話題になっていますが、ヤーコンが知られるまでは牛蒡がオリゴ糖の含有では一番の食材でした。  「うしかば」は別名クロソヨゴと呼ばれるモチノキ科の常緑低木で高さ五 メートルに達します。  今までこの植物を知らなかったのですが、山口県カテゴリーの絶滅危惧Ⅱ 類の植物だそうで、日本の固有種が消えてゆくのは是が非でも守らなくては なり...

【093話】病気と元氣

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   「病は気から」とよく言われますが、本当にそのことを実感することがあります。高熱で唸っていても、ぎっくり腰で立ち上がれなくても、明日は大勢の前での講演が予定されている時には、朝何とか起きて会場までは行きますし、話しているうちに熱も下がって、腰の痛みも退いていった経験をすると、人は気の持ちようだとつくづく思います。  そこで、「気」の字ですが、旧字は「氣」と書いていましたが、簡体字の「気」になって、気になることがあります。 「气」の中の「米」はエネルギーを四方に発散させる意味があって、まさに氣の意味をよくあらわしています。しかし、「气」の中が「〆」になると、エネルギーが閉じ込められ、病気にならざるをえません。  中国では私たちの心配をよそに、簡体字を「气」と表しています。  村上和雄著『 生 命の暗号』に、人の遺伝子はどの人も同じに持っていて、遺伝子の活動チャンネルを開いているかいないかの差で、能力に違いがあるとの話が書かれています。そして、その遺伝子を活性化させるのは、とりもなおさず氣であるとの結論です。  

【092話】パブロフの犬  

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    「条件反射」と聞けば直ぐにパブロフの犬を思い浮かべるほどに、私たちの体の中に条件反射ができています。  肉を与えて唾液が出るのは 生 まれつきの反射である無条件反射、ベルの音を聞いて唾液が出るのは生まれてから獲得した反射、すなわち条件反射です。 そして、私たちは行動の多くがこの条件反射にいかに深く係わっているかに驚かされます。  ただ、この条件反射には二通りあって、パブロフの古典的条件づけとは別に、オペラント条件づけ(道具的条件づけ)といわれるものがあります。このオペラント条件付けは、試行錯誤の行動の繰り返し得られる条件づけで、学習とも言われています。  信号の赤を見ればストップする。電話のベルが鳴れば受話器をとる。これらの行動は、古典的条件付けでもありますが、オペラント条件付けとしての存在が大きいのです。  信号が赤であればそこにとどまるという古典的条件付けと同時に、赤であることを知らずに渡って車にぶつかった経験があって、赤信号では渡らなくなったというオペラント的な理由もあります。また、ベルが鳴ると受話器を外すという行動が条件づけられている場合もありますが、音がうるさいから受話器を外すという”うるさい”といったマイナス因子を取り除くエスペラント的な理由もあります。  ニューヨークのある銀行に強盗が押し入り、もたもたしているうちに警官隊に包囲されて撃ち合いになりました。その時、強盗のそばにあった電話が突然けたたましく鳴りました。あわてて受話器をとって、彼は言いました。「うるさい、今、忙しいんだ ! 」 本当にあったお話です。  日常の行動や思考の多くは条件反射に支配されています。テレビで日に何度となく繰り返されるコマーシャルは条件反射を逆手にとった戦略です。 日常の行動や思考が多くの条件反射に支配されていることに気づかないと、自分自身を見失うかもしれません。

【091話】生き残るのは誰? 

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   以前「ゾウの時間ネズミの時間」の話を紹介しました。種の寿命は体重の 1/4 乗に比例するとの法則です。  それでは、身体の大きい者ほど長 生 きしているかと云えばそうでもありません。そんな時に進化論で有名なチャールズ・ダーウィンの言葉に出会いました。(異説もあります)   "It is not the strongest of the species that survives, nor the most intelligent, but rather the one most adaptable to change." 「最も強い者が生き残るのではなく、最も賢い者が生き延びるわけでもない。唯一 生 き残るのは変化に適応できる者である。」  こう考えると、女性が男性より長生きする理由が解ります。決して、女性が男性よりも弱くて、無能だと思っているわけではありません。女性の生活環境への順応性の高さに敬意を表するからです。  ただ、芸術家が長 生 きするのは社会に順応しているのではなく、自分のやりたいことに没頭できているからで、言葉を換えれば、わがままでストレスが少ないからだと思われます。  男が長 生 きしたければ、芸術家になるか、強い賢い女性に従順に順応するしかありませんね。

【090-9/9話】甘草の故郷を訪ねて/兵馬俑

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                西安点景、そして帰国(9月29日・30日)   腊葉(サクヨウ)  Oさんの事務所は長安中路に面したビルの三階にありました。同じビルに税務 署があったりして、官民の入った雑居ビルは日本ではあまり聞かないので驚きま した。 腊葉  今回採取の甘草の「腊葉」を作るために、旅の途中でも何度も挟んだ新聞紙を 取り換えてきましたが、ここで、最後の作業を行いました。水分を取らないと 生 渇きだと黴 がきます。結構手間のかかる仕事です。   兵馬俑  午後から少し時間ができたので、秦の始皇帝の陪葬物で有名な兵馬俑の見学に出かけました。私にとっては三回目の訪問ですが、いつ来てもそのスケールの大きさに圧倒されます。兵馬俑の発掘と修理にはまだまだ長い年月がかかるといわれていますが、その発掘修理の現場も見学の中で見ることができます。不死の薬を求めて、始皇帝が蓬莱に遣わした徐福が、徐福村の発見で、伝説の人物でなく史実として歴史の中に登場してきました。 銅車馬       兵馬俑   食材・白酒  西安一のスーパーマーケットに出かけました。陝西省特産の、山査子、大棗、枸杞子などの薬膳食材と乾燥した梅干しに地元の人に人気のインスタントラーメンを買いこんで日本への土産としました。最後の晩餐は、旅の成果への満足感と強行軍の疲れで重ねた白酒はよくまわりました。  ホテルの自室に戻ったのは午前様で、このことが翌朝の失態に続くとは思ってもみませんでした。   ドアを叩かれて  激しいドアのノックで飛び起きました。まだボーとしている脳のエンジンを全開にします。慌てて時計をみますと、午前5時。空港への出発時間が過ぎています。  ドアを開けると、Oさんが「早く!早く!」と叫んでいます。急いで、服を着かえ、荷物をトランクに無理やり押し込んでフロントへと走りました。まだ、暗いフロントには誰もいません。Oさんが追っ付けやってきて、「KさんとOさんが起きてこない。」と言います。西安発7時のフライトに間に合わなければ、一日遅れになります。もう一度とOさんが駆け出して行きました。  しばらくして、開けきらない目をしょぼつかせてご両人が現れました。チェックアウトを済ませた車に飛び乗ります。 西安の西門  赤信号を無視して(西安の早朝、人通りの少ない時は信号無視は当たり前...

【090-8/9話】甘草の故郷を訪ねて/酒泉・宝鶏

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            酒泉 酒泉から蘭州へ、そして西安へ(9月27日)   夜光杯と葡萄酒  「酒泉」は漢の時代「粛州」と呼ばれ、「甘州」と呼ばれていた「張掖」との名を取って、甘粛省の命名の由来になった都市です。  当地の名品として名高い「夜光杯」は玉石で造られています。夜光杯を詠った唐の詩人王翰の涼州詩は特に人口に膾炙されています。 夜光杯         涼 州 詞   ( 王翰 おおかん )     葡萄美酒夜光杯    葡萄の美酒 夜光の杯     欲飲琵琶馬上催    飲んと欲して  琵琶 馬上に催す     酔臥沙場君莫笑    酔て沙場に臥す 君笑ことなかれ     古来征戦幾人囘    古来 征戦 幾人か回える   出征の前に葡萄のうま酒を、玉のようなガラスの杯で飲む。  飲もうとして、酔いつぶれる前は、馬上で琵琶などをかき鳴らしていたが、 したたか飲んで酔つぶれ、    砂漠に倒れ 伏してしまった私を、どうか笑わないで欲しい。昔から、こんな異国の辺塞に出征して、無事生還を果たした人はどれだけいたであろうか  若い頃から、夜光杯になみなみと葡萄の美酒を注ぎ、酩酊して馬上で吟じる己の姿を夢見ていましたが、今回は駱 駝の背に乗ったものの、馬上(駱上?)で酩酊とはいきませんでした。  朝日が眩しい   アコードのブレーキの調子が思わしくありません。近くの修理屋で点検することになりました。その間を利用して近場を散策に出かけました。寒さが近づいてくるのでしょう。練炭を山積みにして荷馬車が通ります。民家の庭先に は燃料用の粉石炭を固めて干しています。軒先には唐辛子がぶら下がり畑 には砂糖黍が色づいています。雀が二羽、その中で囀っています。そうい えば、今回の旅ではあまり鳥の声が聞こえませんでした。 後ろの雪山が祁連の嶺  点検が終わって、「酒泉」を後にします。右に祁連の嶺々が神々しく聳 えています。カメラのファインダーを覗きましたが、この雄大さを切り取 るには戸惑いがあって、しばらくはシャッターを押すことが出来ませんで した。 朝日が眩しい。今回の旅で、朝日に向かって走るのはこの日が始めてで ありました。       張掖と武威  時間が許せば、河西回廊の風物、文物をもっと見ておきたかったのです がひたすら「西安」に向かって、帰路を急ぐ...

【090-7/9話】甘草の故郷を訪ねて/敦煌

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  敦煌/莫高窟と月牙泉(9月26日)   酒泉から安西へ  「酒泉」まで来たのだから、一日休暇をとって「敦煌」まで出かけようと話がまとまりました。 ただ、結構距離のある行程なので、出発は朝5時となりました。北京時間で考えると2時間の時差、真っ暗な寒い朝の旅立ちでした。案内に、 と甘粛省医薬保健品進出公司の陶氏が同行してくださる事になりました。 「嘉峪関」を過ぎ、「玉門」から道が北に向かう頃、右手、東のゴビの地平線に太陽が顔を出しました。午前7時20分。道がまた西に向きを変えたとき、正面に朝日に輝く雪を頂いた祁連山脈が目に飛び込んできました。4500メール級の嶺を連ね、万年雪を湛えた山容は、幾千年の昔から、この地を旅する旅人の心に荘厳な感動を呼び起こしたに違いありません。  今までにもいくつかの橋を渡りましたが、多くの川は水無川でした。夏が暑いと、川には水が溢れ、田畑に水が行き渡ります。祁連の雪解け水が大地を潤すのです。   安西の風  西域には三つの名所があります。「吐魯蕃(トルファン)」の熱砂、「烏魯木斉(ウルムチ)」の極寒、そして「安西」の強風です。  今まで穏やかだった風景が、次第に風の風景に変わろうとしています。全ての街路樹は一方に傾き、砂塵が通り 抜けます。 生 暖かい風は風の道を通って、東から西に吹いていました。 「安西」で、清真料理の食堂に入り、急いで、麺をかき込んで早々に出発です。食堂は日曜日のせいか、家族連れが多く、その楽しげな食事の場をがさつな一団が壊したんではないかと恐縮しきりでした。    「安西」から「柳園」を経て「烏魯木斉」へと向かう道に別れを告げ、「敦煌」を目指します。風は益々 強くなってきました。敦煌までは、何処もこれ以上吹き飛ばすもののない程ののっぺんだらりとした景観が続きます。それでもよく見ると、土にしがみついて、麻黄に似た矮小の草が見られます。  井上靖は小説「敦煌」で、此処での戦闘の場面を描いていますが、後日、当地を訪れた際に、「この景観を見ていたら、もっと違った闘いを描いていたと思う。」と述懐しています。それほどまでに、想像を絶する風景です。  野生の駱駝が群れています。ゴビとは違った砂漠のにおいがします。「敦煌」は間近です。  敦煌/莫高窟  前漢の時代「沙州」と呼ばれていた「敦煌...