【090-8/9話】甘草の故郷を訪ねて/酒泉・宝鶏

           酒泉
酒泉から蘭州へ、そして西安へ(9月27日)

 夜光杯と葡萄酒
 「酒泉」は漢の時代「粛州」と呼ばれ、「甘州」と呼ばれていた「張掖」との名を取って、甘粛省の命名の由来になった都市です。
 当地の名品として名高い「夜光杯」は玉石で造られています。夜光杯を詠った唐の詩人王翰の涼州詩は特に人口に膾炙されています。
夜光杯
  
     涼 州 詞   (王翰 おおかん)
    葡萄美酒夜光杯    葡萄の美酒 夜光の杯
    欲飲琵琶馬上催    飲んと欲して  琵琶 馬上に催す
    酔臥沙場君莫笑    酔て沙場に臥す 君笑ことなかれ
    古来征戦幾人囘    古来 征戦 幾人か回える

  出征の前に葡萄のうま酒を、玉のようなガラスの杯で飲む。
 飲もうとして、酔いつぶれる前は、馬上で琵琶などをかき鳴らしていたが、
したたか飲んで酔つぶれ、   砂漠に倒れ伏してしまった私を、どうか笑わないで欲しい。昔から、こんな異国の辺塞に出征して、無事生還を果たした人はどれだけいたであろうか

 若い頃から、夜光杯になみなみと葡萄の美酒を注ぎ、酩酊して馬上で吟じる己の姿を夢見ていましたが、今回は駱駝の背に乗ったものの、馬上(駱上?)で酩酊とはいきませんでした。

 朝日が眩しい

  アコードのブレーキの調子が思わしくありません。近くの修理屋で点検することになりました。その間を利用して近場を散策に出かけました。寒さが近づいてくるのでしょう。練炭を山積みにして荷馬車が通ります。民家の庭先には燃料用の粉石炭を固めて干しています。軒先には唐辛子がぶら下がり畑には砂糖黍が色づいています。雀が二羽、その中で囀っています。そういえば、今回の旅ではあまり鳥の声が聞こえませんでした。

後ろの雪山が祁連の嶺

 点検が終わって、「酒泉」を後にします。右に祁連の嶺々が神々しく聳えています。カメラのファインダーを覗きましたが、この雄大さを切り取るには戸惑いがあって、しばらくはシャッターを押すことが出来ませんでした。朝日が眩しい。今回の旅で、朝日に向かって走るのはこの日が始めてでありました。     

 張掖と武威
 時間が許せば、河西回廊の風物、文物をもっと見ておきたかったのですがひたすら「西安」に向かって、帰路を急ぐことになりました。 

 「張掖」は河西回廊において、「塞上の江南」と云われる程緑豊かな大きなオアシスです。マルコポーロが訪れたフビライ誕生の「大仏寺」には足を運びたかったのですが残念でした。
 「武威」は前漢の将軍霍去病が匈奴に大勝利した土地としても有名で、「飛燕を踏む馬」と呼ばれる名高い銅の奔馬像があります。
 思いを轍の跡に残して、先を急ぎます。後は「蘭州」への登り道です。
海抜1510メートル、青海省のチベット山系に源を発した黄河が、初めてその上を渡らせるのが、ここ「蘭州」の「中山橋」です。現在、人口200万人の工業として発展していますが、中国全土の中心に位置する都市とは意外でした。

 本日の走行距離730キロ。宿泊は「蘭州飛天大飯店」で、設備の整った一流ホテルでした。日本のお年寄りの団体が到着、「どちらへ」と問いますと、明日からシルクロードを敦煌までとのこと。「道が大変ですよ」との言葉に、「ゆっくり行きますから」。一週間かけて主だった遺跡、風物、寺院などをスケッチしてゆくのだそうです。楽しい旅になりそうですネ。

 甘草店・宝鶏へ

 「蘭州」を出発して、暫く走ると、「甘草店」という街に出ました。甘草の集荷地採集地か、土地の人に聞きましたが判らないと言います。時代の流れが、人々の記憶から甘草を奪い去ったのでしょうか。

「定西」から「西安」への本道が100キロ以上の工事中、悪路が予想されるとの判断から、「平涼」経由で「宝鶏」へ抜ける山越えの道を選択しました。2000メートルから2500メートルの峠をいくつも越えることになりました。

 天候が急変し、稲光が走り、遠雷が聞こえてきて、雪混じりの雨になりました。山周りの道は、時々鉄道の線路に出会って、上がり下がりが続きます。右に深い警告が見えたとき渋滞に巻き込まれました。

工事中の道路が上り下りの車で身動きがとれません。工事中のトラックがじゃまをして通れません。何処にも交通整理をする人がいません。「中国ですから。」とOさんが云います。やっと、渋滞の隙間をくぐり抜けて、後は一気に「宝鶏」へくだりました。



                        宝鶏 金絲猴(孫悟空のモデル)の生息地

 神農の故郷/宝鶏
 「宝鶏」はOさんお奥さんのまれ故郷だそうです。私たちにとっての「宝鶏」は黄河文明の発祥地として、医薬農業の始祖、神農(炎帝)の故郷として、また金絲猴(孫悟空のモデル)やパンダの生息地と
しての「宝鶏」です。そして、ここで、神農の姓が姜氏だと云うことを初めて知りました。

西安の法律

 「宝鶏」から「西安」まではすばらしい高速道をが続きます。時速160キロでぶっ飛ばしました。突然、工事の標示。あわてて避けます。日本では何百メートル前から工事の予告標識が出ていますが、「中国ですから」勿論ありません。
 「西安」の街に入る前に、車を洗浄することになりました。「西安」には泥に汚れた車は市街に入ってはいけないとの法律があるのだそうです。この日は、時間が遅いこともあり、長旅の汚れのまま中心街まで乗り入れました。ホテルに戻る前に、食事をすることになり、路上に車を停めますと、何処ともなく若い女の子が、バケツと雑巾をもって集まってきました。車掃除のアルバイトとのこと。海鮮料理に舌鼓を打って、出てきたときには、ぴかぴかに磨き上げられたアコードがありました。 本日の走行距離730キロ。
 黄土高原からゴビ砂漠、そして河西回廊を巡る8日間、総走行距離4800キロの甘草調査の旅が終わりました。(続)


 

          

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