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【013話】シーボルトと日本の植物たち 

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                             ライデン大学  アムステルダムから南西へ40キロのところにオランダ最古の大学「ライデン大学」があります。この大学はオランダで唯一の日本語学科のあることでも知られていますが、私たち日本人にとっては、幕末の長崎・出島に赴任してきたオランダの商館付き医師フォン・シーボルトを忘れることができません。  シーボルトは診療のかたわら鳴滝塾を開き、西洋の新しい科学を紹介し、高野長英、伊藤玄朴らの多くの蘭方医を育てる一方、日本の動植物の観察と収集に精力を注ぎました。1825年、日本地図を持ち出そうとしたのが発覚して翌年、国外追放になりましたが、その折多くの文物や植物などをオランダに持ち帰りました。そして、この地ライデンで大著「日本動物誌」「日本植物誌」を発表したのです。  ライデン国立博物館には、シーボルトコレクションを中心に、鎧、兜、駕篭をはじめとする江戸時代末期も風物が手にとるように陳列されています。  ライデン大学の植物園には、シーボルトが持ち帰ったフジ、アケビ、カエデ、ボケ、アジサイなどの日本特有の植物が多く植えられています。  なお、アジサイの学名  Hydrangea  Macrophylla Seringe  var.  Otaksa  Makino  の  Otaksa  は、シーボルトの日本妻お滝さんからの命名です。また、植物園の一角には、日本庭園も造園され、シーボルトの胸像がたっています。                     ライデン大学植物園日本庭園のシーボルト像 シーボルトに対する日本人の思い入れが大きいのか、ライデンを訪れる外国人観光客の大半は日本人だそうで、駅前の観光案内所には、「シーボルト散策コース」という日本語のパンフレットが用意されていました。  180 年前に海を渡った日本の植物たちの子孫が、異文化の異郷の地に 生 き 生 きとした美しい花を咲かせているのに出会ったとき、異文化と異文化の接点においては、お互いに他の文化を巧みに受け入れ融合させることが、文化の発展の大きな要因の一つだと思います。  異教徒が異教徒を排斥しようとするだけの論理からは破壊の道しか導かれません。今、ある地...

【012話】「5」は美しい数字

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                 以前から「5」という数に興味がありました。  アラビヤ数字は何故、1,2,3をⅠ、Ⅱ、Ⅲと表し、4を5のⅤの前にⅠを加えてⅣとし、6,7,8をⅤの後にⅠ、Ⅱ、Ⅲを加えてⅥ、Ⅶ、Ⅷとするのでしょうか。漢数字も中国殷時代の数字を見ますと、四まで横棒の数を増やすことの一二三のあと四を横棒四本で表わしていて、五になると記号の数を増やすことを止め別の記号を使っています。算盤の珠の5は何故、中棧(ちゅうさん)といわれる横板の上側にあるのでしょうか。  今までに多くの人が5の特殊性について考えています。理由は今一はっきりしませんが、人間の脳が一度に数を数えられるのは5が限界だというのが定説のようです。それは、太古の昔より宇宙の中の記憶に関係しているように思えてなりません。  話は変わりますが、中学校の数学の時間に、コンパスと定規だけで正三角形から順に正六角形までを描く授業がありました。三・四・六角形は簡単に描けたのですが、正五角形は描けませんでした。(正五角形の書き方はいろいろありますが此処では省略します。)  ある日のことです。紙テープでクリスマスツリーの飾り付けをしていたと きです。偶然でしたが、テープを輪にしてそれぞれの端をくぐらせると正五 角形が作れました。これは感動ものでした。  それからは、5について特別な 意識が 生 まれました。星を描くときも正五角形の対角線からつくる五芒星の ほうが六芒星よりも美しく感じます。 そのことは、後から五角形が生み出す黄金比の事 を知って更に5の美しさに引かれてゆきました。  後年、東洋医学をかじるようになって五行説に 出会い、今では5の信奉者です。   YouTube 「寄り道脱線 生薬雑話」の「【34話】美しい5」に「5」についての動画が収載されています

【011話】神農(しんのう)と少彦名命(すくなひこなのみこと)  

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  少彦名神社   大阪市中央区に薬の街「道修町」があ り、その一画に少彦名神社が鎮座しています。少彦名命を祭神としていますが、少彦名命はその名の通り小人の神で、大国主命と協力して神話の世界で大活躍しています。  国土開発や農業技術の普及、病気治療法や酒造法を教え、温泉を医療に用いたのもこの命です。このとき開いた湯が愛媛県の道後温泉といわれています。  一方、少彦名神社は「神農さん」として親しまれています。神農は古代中国に登場する伝説の三皇五帝のひとりで、一日に百毒を嘗めて薬効を確かめた皇帝です。中国では医薬と農業の神として敬われ、世界最古の薬物書「神農本草経」にその名前をとどめています。  神農の姓は「姜」氏、西安の西にある宝鶏が神農の 生 まれ故郷です。  中国の方が来阪され、少彦名神社に中国の神様と日本の神様が合祀されているのに驚かれますが、礼拝は二礼二拍一礼でお願いしています。11月22日23日の祭礼に 配られる張り子の虎は、江戸時代に流行ったコレラに虎骨が 効くとのことで使われたのが由来のひとつで、阪神タイガー スの御守りではありません。 張り子の虎

【009話】葛(カズラとクズ)

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  クズの花    秋の七草のひとつ「クズ」は、マメ科の蔓性の植物クズ Pueraria lobata   で、日本では古来より人々の 生 活に密着してきた有用植物です。漢字では「葛」と書き、字音は「カツ」、意読として「クズ」「ツル」「カタビラ」「ツヅラ」「カズラ」があります。最近、この「クズ」に縁があって、そのいくつかをご紹介します。   大阪府と奈良県を隔てる山脈の一つに「大和葛城山」があり、ツツジの季節は山頂を真っ赤に染めて燃えるようです。また、大阪府と和歌山県の境には「和泉葛城山」がなだらかな稜線を見せていますが、秋のすすきが原のドライブウェイは涼風を受けてのさわやかな走行です。  幼い時から、この二つの山並みをいつも仰ぎ見てきました。葛城の地は古代大和先住人である葛城氏一族の居城で、字の通り、クズの蔓で編んだ巨大な城があったのでしょう。 かずら橋    クズの蔓は非常に頑丈なもので、平家の落人部落として有名な祖谷(イヤ)渓谷に架かる「かずら橋」を渡ってみて実感しました。葛の蔓だけで編まれた全長45メートルの吊り橋の渡りはかなりの清涼感を味あわせてくれます。  夕暮れ近くの到着でその日の宿はホテル祖谷温泉にとりました。谷底にある源泉かけ流しの露天風呂まで、ケーブルカーで約170メートルを約5分を かけて、傾斜角42度の断崖をくだ ります。祖谷川の流れにせり出すよう に造られた露天風呂には白い湯の花が 浮いていました。 森野旧薬園    奈良県大宇陀に、十代目の森野藤助 が享保年間に開いた「小石川植物園」 と並ぶ日本最古の薬草園「森野旧薬 園」があります。   約250種類の薬草が四季折々に可憐な花を咲かせていますが、従来、森野家は葛デンプンを製造する四百年の老舗で、現在も吉野葛本舗を名乗っています。クズデンプンは滋養剤とするほか、結合と崩壊に優れていることから錠剤の賦形剤としても使われています。尚、市販のクズデンプンのほとんどはジャガイモデンプンです。本物のクズのみを使用したものは「本葛」と呼んでいます。クズ粉を水で溶いて砂糖を加え、ゆっくりと過熱しながら透明になるまで練り上げたものが「葛湯」で、初期の風邪の民間療法として飲まれています。溶かしたクズ粉を冷やして固めたものが葛餅で、麺状にしたものが葛切...

【010話】ビワ(冬) 生薬名:枇杷葉(ビワヨウ)

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                         ビワの花と果実  家の小さな前庭に一本のビワの木があります。  今まで、一度も実がならなかったビワが、花芽をつけ、五月には多くの実を実らせました。    そろそろ食べ時かなと思ってみますと、多くの実はヒヨドリについばまれていました。次の年には、ネットを張り、鳥からの被害を防ぎました。すると、次の年には実りが少なくなりました。    そんなことを何回か繰り返しているうちに、気が付いたことがあります。人と鳥との共存です。人間が実を食べると、その種はごみとして捨てられますが、鳥たちがついばむと、種は実からこぼれて、地面から新しい命を育みます。数年たつと、多くの若木が育っていました。ビワにとっては、人間様が食すより、鳥たちに食してもらったほうがどんなにうれしいことでしょう。そんなことを思った時から、 ビワの実がなると、ちょっとおすそ分けをいただくことに しています。   ビワはインドから中国の南部にかけてが原産地です。 3000年前から仏教医学の中にビワの葉療法が取り入 れられ、多くの治療に用いられてきました。    日本においては、江戸時代に「枇杷葉湯」として、夏の 暑気払いに盛んに愛飲されました。 てんびん棒を肩に、 「本家烏丸の枇杷葉湯、第一暑気払いと霍乱(急性下痢)、毎年五月節句よりご披露つかまつりま す」と口上を述べながら売り歩くさまは、大江戸や京・浪花の夏の風物詩だったようです。 「枇杷葉湯」はビワの葉に肉桂、藿香、莪述、呉茱萸、木香、甘草などの気を巡らす生薬を同量混ぜて煎じたものです。     生 薬の枇杷葉は、青々とした新鮮な葉の表面の柔毛をタワシなどで取り除き、水洗いして乾燥したものです。   有効成分として、ガン治療薬のアミグダリン(ビタミンB 17 )、精油、サポニン、ビタミンB1,ブドウ糖、クエン酸などを含み、酸性の血液を弱アルカリ性血液に変え、自然治癒力を促進する作用があるとされ、咳止め、暑気あたり、胃腸病、高血圧、糖尿病、リウマチなどに用いられています。     外用では、ビワ葉を火であぶるとビワ葉中のアミグダリンとエルムシンが反応して微量の青酸が発生し、それが皮膚から吸収され、多くの効果が発揮すると考えられて...

【008話】晩秋の戸隠・黒姫を訪ねて 

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  戸隠 の鏡池   11月の3連休を使って、あいにくの雨になりましたが、黒姫のペンションに泊まり、晩秋の戸隠・黒姫・妙高を訪ねるドライブに出かけました。  2日目の朝は少し薄日も射す天気で、先ずは戸隠 の鏡池に行くことにしました。鏡池の名の通り、湖 面には白樺と黄金に輝くカラマツの下に、戸隠の峰 々が逆立ちしていて、しばらくはその風景に見とれ ていたのです。    その時、ここに白馬を加えれば、東山魁夷の絵 画作品「白馬の森」そのもの だと感じると、いつ までのこの中に佇んでいる喜びが充ちてきました。  以前、訪れたことのある長野県信濃美術館に併 設されている東山魁夷館で、この作品を見ました。 「風景は心の鏡である」という東山芸術の世界が 少しわかった気がしました。  思い起こせば、戸隠へは大学時代の薬草観察旅行に出かけてから半世紀が経とうとしていました。劒の刃渡りとか蟻の戸渡りとかの痩尾根があって、かろうじて立ったまま渡り終えたのですが、女子学 生 の中には尾根に跨ってこわごわ渡っていた光景を思い出しました。                    トガクシソウ と シラネアオイ  戸隠には、大切な花があります。トガクシソウです。  トガクシソウ(戸隠草、学名: Ranzania japonica   )は、メギ科トガクシソウ属の日本特産の一属十種の多年草で、別名、トガクシショウマ(戸隠升麻)とも呼ばれています。学名の由来には、何かといきさつはあるのですが、伊藤篤太郎が「日本で初めて学名をつけた人物」で、トガクシソウは「日本人により学名が付けられた最初の植物」とされています。まだ、お目にかかっていないのが残念である。  そんなことを思いながら、山道を下ってくると、山草を打っている 店があり、遠くからでも、「シラネアオイ」の文字が読み取れたので、 寄ってみました。  この植物もトガクシショウマと同じくは日本固有種の一属一種です。 ともに、紫色の可憐な花が咲きます。買うかどうか躊躇いましたが、 やはり山草は 山に置くのがよいと思い直し、その場を後にしました。   車も通る山道は、黄色いカラマツの落ち葉で絨毯を敷き詰めたように美しい。 大学の詩吟部にいたころ、よく口ずさんだ北原白秋の「からまつ」の詩が甦えりました。 当時、「からまつ」を詩吟風...

【007話】八手(やつで)の思い出 

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            幼少の頃から50年ほど住んでいた家には5坪ほどの裏庭がありました。L字に濡縁があり、庭に降りるための大きな石の三和土から飛び石がS字状に庭の向こうに通じていて、大屋根を越すかと思われほどの黒松の木が一本、偉容にあたりを睥睨し、その傍に高さ6尺ほどの石燈籠が立っていました。  雨の日は厠に行くには半分雨の吹き込む縁側の奥を通って行かなければならず、まして冬の寒い夜は、幼いものには怖しい廊下でした。厠を出て、手水鉢から柄杓で水を汲んでの手洗いは、時には薄氷を割って洗わなければならないこともあり、用を足すにはかなりの苦行を強いられたものです。また、燈籠のあたりには何かが潜んでいるようで、その怖さも重なって、できるだけ行かないように我慢することが多かったと記憶しています。  ある程度大きくなってからは、雨に濡れないよう硝子戸を入れたり、手洗い器を設置したり、厠への我慢は軽減しましたが、そのころから、少し庭いじりをはじめました。西側にレンガで縁取りした花壇を造り、北の隅にシャガを植えたことは覚えていますが、そのほかに何を植栽したのか全く記憶には残っていいません。ただ、背丈以上の八手の木が一本あったことは記憶にあります。切っても切っても大きくなる八手に何だか圧倒された思いもありました。    2年ほど前にバス停横に新設された高校の周りに、環境美化もあって多くの植物が植えられた。ツバキ、アセビ、ドウダンツツジ、クロガネモチなどに交じって、ヤツデの木も多く植えられた。最初は幼苗だった木々も二年経つとそれぞれしっかりと枝を伸ばし、葉をつけ、花を咲かせ実を結びました。中でもヤツデは際立って大きくなり、それを見て、幼少時の裏庭のヤツデを思い出したのです。それも、松の木はさておき、なぜヤツデの木だけが植わっていたのだろうかの疑問でした。  あまり意識をしなかったヤツデですが、思い起こせば、国鉄の駅のトイレの横にあった馬鹿でかいヤツデ、菩提寺の門脇にあったヤツデなど、太陽の陽光に照り輝くイメージがなく、日陰にゆったりとたたずむ印象が強かったのです。そう思えば、裏庭はあまり日当たりのよい場所ではなかった、ヤツデは日陰の植物なのです。 。  ヤツデはウコギ科ヤツデ属に属し学名は Fatsia japonica である。学名の  Fatsia...

【006話】川端康成のこころ/山の辺の道 

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                       川端康成の歌碑 夜麻登波      大和は    久爾能麻本呂波   国のまほろば    多多那豆久     たたなずく    阿袁加岐      青かき    夜麻碁母禮流       山ごもれる    夜麻登志      大和し    宇流波斯      美し 大和盆地の東の青垣の裾野を、北から南へ、また南から北へ古代の山辺の道が通っています。そこは、かつて 額田王が三輪の山を振り返り振り返り近江京へと越え ていった道であり、柿本人麻呂が心燃やして通い詰めた恋路でもありました。 大神神社から山辺の道を北へ向う早春時は桃の花の色と香りでいっぱいになります。ひのき林の中を道が進むと、突然展望の開けた桧原神社の前に出ます。うっすらと額ににじんだ汗をぬぐって路傍の石に腰をかけ一息入れるのにこれ以上の場所はありません。葛城・二上の山並みを遠景に、耳成、畝傍、香具山の大和三山が浮島のように配されて、古代そのものの美しさに浸れるところです。  それにしても良い腰かけ石があるものだと感心したのですが、よく見ると歌碑でした。そこに刻まれていたのが冒頭に掲げた歌で、倭建命が東国遠征の帰途、伊勢の国で、故郷の大和を偲んで歌った歌とされています。  碑の揮毫を見るとノーベル賞作家川端康成書とあって、失礼なことをしたと思いつつ、美しの大和の風に満足して家路につきました。 後日、ある書でこの碑の由来を知りました。  康成は碑に彫る歌を選んだ時、自ら大和に足を運び、その地を選定したといいます。そして更に「子供たちが遠足に来て、歌碑に腰かけて弁当を食べてくれるような形のもの」をと、注文された由。しかし、康成は碑の歌を書くことなく他界してしまいました。そのため、 生 前の肉筆のペン字原稿からこの歌の文字を選び集めて、それを拡大し碑に刻んだといいます。 「美しい日本の私」の康成は、自然と人間の美しさを一つの碑に残してくれました。そして今も、碑は碑としてでなく路傍の石のように自然の中に温かく佇んでいます。

【005話】七味唐辛子あれこれ 

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                            七味唐辛子は基本的に唐辛子をメインにあと六つの薬味を混ぜてつくられています。まず、最初に唐辛子についてお話をしますと、唐辛子は名前から解かるように、唐(中国)から渡ってきた辛子の意味なのですが、実は唐辛子の原産地は中央アメリカなのです。  コロンブスがアメリカ大陸発見の時、持ち帰ったものとしてタバコとジャガイモと梅毒が有名ですが、その中に唐辛子もありました。わが国には16世紀に伝わりました。  唐辛子には、体内脂肪酸を酸化分解させる辛味成分のカプサイシンが含まれていて、メタボが心配な方には取って置きの薬味です。  さて、七味唐辛子の成り立ちですが、1625年(寛永二年)に「からしや徳右衛門」が考案したのが最初と言われています。これが後の「薬研堀唐辛子本舗」で「日本三大七味」の一つです。薬研堀は両国橋西側たもとにあって、多くの生薬問屋が軒を並べていました。現在は浅草に移転しています。なお、薬研は生薬を粉末にする道具です。「薬研堀」の七味の中身は「赤唐辛子(乾燥・焙煎)・山椒・陳皮・黒胡麻・麻の実・けしの実」で、二種類の唐辛子を配合しています。  あと、二つの三大七味は長野・善光寺門前「八幡屋礒五郎」と京都・祇園清水寺門前「七味家」の七味です。三軒に共通するのはお寺の門前に店を構え、参詣客に七味を売っていることです。  「八幡屋礒五郎」は「赤唐辛子、山椒、麻の実、黒胡麻、白胡麻、青紫蘇、 生 姜」で、「生姜」が特徴の七味です。  「七味屋」は「赤唐辛子、山椒、麻の実、黒胡麻、白胡麻、紫蘇、青海苔」で、「青海苔」が特徴になっています。  これら全ての薬味は、胃腸の働きを整え、風邪にも効果のあるもので、食欲を増進させてくれます。 YouTube 【寄り道・脱線 生薬雑話】の「 【204 話】七味唐辛子について」に七味唐辛子の動画を収載しています 。

【004話】ナンテン(冬) 生薬名:南天実(ナンテンジツ)

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  ナンテンの実   ナンテンの木が三本、自宅の前庭に赤い実をつけています。「難を転ずる」との語呂合わせからか、鬼門の方角などに植栽されることが多く、我が家の玄関が鬼門にあたることで、ナンテンを植えています。  秋から冬になると、ヒヨドリがやってきて、庭のナンテンを食べていきます。少し食べては飛び去り、また来ては実をついばんでいます。ナンテンの実にはアルカロイドが含まれているので、食べ過ぎには注意が必要と思いますが、大丈夫でしょうか。  ナンテンの名は中国名の南天竹からきたもので、中国から薬用、観賞用として伝えられ栽培されていたものが、種子が鳥によって散布され、今では東海から近畿以西の本州、四国、九州の温かい山地に自生しています。  秋から冬にかけて熟した果実を採集し、よく乾燥したものを南天実といい、咳止めの 生 薬として、漢方薬やのど飴の原料として用います。  実には赤実と白実があり、シロミナンテンの方が効き目がよい と俗に言われていますが、効き目に差はないようです。    祝い事で「赤飯」を配る時、その上にナンテンの葉を置く風 習がありますが、これは「難を転じる」意味と、「ナンテンの 葉が毒を消すので食中毒の心配はない」との意味があるとされ ています。  この事には化学的な証明がされています。ナンテン葉に含ま れるナンジニンという成分が、熱い赤飯の上に乗せられると、解毒作用のある微量のチアン水素が発生し、赤飯を腐敗から守る働きをするからです。  ナンテンは実のほかに、葉は南天竹葉といい、南天実と同様の効き目があるとされています。茎は咳止めや強壮薬に、根は頭痛、筋肉痛などの痛み止めとして用います。  YouTube「寄り道脱線 生薬雑話」の「【21話】南天は難を転ず」で詳しく動画でお話しています。

【002話】リンドウ(秋) 生薬名:竜胆(リュウタン)

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        リンドウ    秋の七草のひとつに何故入っていないのかと疑うほど、リンドウは秋を彩るにふさわしい美しい花です。  リ ンドウ科は世界に約70属1100種以上の種があります。中でも薬用に使われる生薬の竜胆(リュウタン)は、トウリンドウ他一種で、その根及び根茎を用います。    同じ科には、センブリや西洋 生 薬のゲンチアナなどがあり、ゲンチオピクロシド と呼ばれる苦味配糖体が含まれています。竜胆の名の由来は、熊の胆よりも苦い ことから竜の胆(胆嚢)のようだ、ということからきています。植物名の「リンド ウ」は「リュウタン」が訛ったものです。別名の「笑止草(えやみぐさ)」は笑 いが止まるほど苦いことからの呼び名です。    この苦味もって、苦味健胃薬として、唾液・胃液・膵液・胆汁の分泌促進作用 により、食欲不振、胃アトニ ― 、胃散過多症、腹痛などに用いています。 詩歌の世界では、リンドウは、秋の花というより冬の花として読まれることが 多いのは旧暦だと、冬に属してしまうからかもしれません。      うららけき 冬野の宮の 石段の 段ごとに咲く リンドウの花  若山牧水     かきわくる ひと足ごとに 竜胆の 光りまたたく 冬のあさあけ 北原白秋   YouTube 【寄り道・脱線 生薬雑話】の「 【81話】リンリンリンドウはこむらさき」に「リンドウ」についての動画を収載しています。