【014話】イングランドの運河とナローボート
980月の大型連休を利用してイングランドに出かけました。
今回の目的はイングランドからウェールズにかけて張り巡らされた運河をボートで旅することでした。
イギリスは北アイルランド、スコットランド、イングランドとウェールズの四つの王国からなるUK(The United Kingdom of Great Britain and North Ireland) ですが、その中で、大ブリテン島の中央部に位置するイングランドには高い山がなく、なだらかな丘陵地帯が広がっています。
十八世紀にマンチェスターを中心に起こった産業革命は大量に生産された物資を運ぶ必要から、地形の特徴を利用した運河の建設が盛んになり、遠くはロンドンまで、その水路延ばしています。
今では運送は自動車と鉄道にとって代わられ、運河の役割はレジャーのボート遊びに移ってきました。今回は甥が所有するボートで寝泊まりし、運河の旅を楽しみました。人が歩くと同じ速度でボートは進みます。運河には水の流れはありません。その中を波をたてずにゆっくりゆっくり進みます。運河から見る風景は単調ながら新しい発見がありました。
水辺の草木、水鳥の遊泳。草を食む牛や羊の群れ。橋架をくぐり、水門を上下する。どれもこれも私には日常とは別の世界です。しかし一方では、この非日常を日常の生活としている人もいます。ボートを家とし何か月も運河を巡っているのです。時間の流れが遅く感じます。昼時は、岸に降りて食事をし、夕食は近くのパブやレストランでビタービールとワインを楽しみます。時には釣り糸をたらし、時には詩やエッセイに心ときめかします。こんな時間の過ごし方ができるのは長期の休みが取れるからで、ヨーロッパのこの環境はうらやましい限りです。
北海道より北に位置するイングランドの九月の下旬は肌寒く、秋が深まっています。
この季節はどんよりとした空が広がり、運河を渡る風は木の実をさらに色づかせるのですが、その日は時には柔らかい日差しが降り注ぎ、時にはイングリッシュ・シャワーと呼ばれる細かい雨が頬を濡らす一日でした。
チェスター(Chester) を出て車で三十分、十時半にボートの停泊地バンバリー(Bunbury)からボートに乗り込みました。ボートの名はサンドウナー(SUNDOWNER)、ブルーの船体が鮮やかです。船内はシングルベッドが二床、ダブルベッドが二床、キッチンに食堂、トイレが二か所、更にシャワーも備わっています。
今日の行程は二十キロ、目的のミドルウィッチ(Midlle wich)に向けて出航です。
運河沿いには、水辺の植物ツリフネソウ(釣舟草)が満開です。日本のそれとは品種の違うツリフネソウです。ブラックベリーの実もたわわです
それぞれの運河は水の流れがありません。従って、低い運河から高い運河へ上るとき、また、高い運河から低い運河へ下りるとき、二つの水門を開閉して進みます。まず、水を流す弁を開けて、水門と水門の間の水位を同じくし、弁を閉じ、その間の水門を開けボートをその間に進ませます。次に、水門を閉じて、もう一方の水位と同じになるように弁を開け、水位を上げ下げし、水位が同じになったら弁を閉じ、水門を開けて、水門を出ます
これを繰り返しながら高低差のある運河を行き来するのですが、この作業はボートに乗っている人たちで行います。水門の開閉は結構な力仕事です。一つの水門を通り抜けるのに十五分前後の時間を要します。時には何艘か待たなければならない時があり、ラッシュ時には一,二時間を超すことも珍しくありません。
しかし、これも楽しみの一つで、その間岸に上がって、読書をしたり、釣り糸を垂れたり、別のことに時間を使います。行けるとこまで行って、そこで停泊し、食事をします。あくせく急ぐ旅ではないのです。
運河の途中には船泊まりがあって多くのボートが停泊しています。レストランやパブがあり、食品店もあり、ボート生活に必要な品が揃います。
運河はイングランドの牧草地帯を通ります。途中で昼食のため、ボートを降りて一休み。日本では北海道やアルプスの高原地帯でしか見られない
ヤナギラン(柳蘭)が私たちを迎えてくれました。なんとゆっくりと時間が流れているのでしょうか。歩くように進むボートのように。
運河でのボート生活には食料の準備のほかにしなければならないことに飲料水やシャワー、トイレに使用する水の補給と汚水の処理があります。このために、運河に沿って何ヵ所かにその設備が準備されています。運河使用のカードを差し込むと、この設備が使える仕組みになっています。
運河には多くの水鳥が生息しています。パン屑を投げると我先に寄ってきますが、ある距離以内には近づきません。人間とは一線を画した共存関係にあるようです。アオサギが長いあいだ私たちのボートについてきました。
ヨーロッパの街にほぼ共通して言えることは、連綿と受け継がれてきたこの秩序だった風景です。長い歴史の中に安らぎと落ち着きを感じます。
夕食はパブ&レストラン「The Big Rock」で、イングリシュスタイルのポテトがふんだんに盛られたポークやミートを注文し、ビタービールで乾杯です。
関空からヘルシンキ経由でマンチェスターまでの十四時間の長旅に、八時間の時差と日常使っていない筋肉の疲れが重なって、ビールの酔いがいつもより早く、ボートのベッドに潜り込むと忽ち爆睡となった次第です。
まだ少し闇を残した朝ぼらけの中で目覚めましました。ボートは揺れもなく運河の静けさの中に眠っていたようです。船窓から岸辺の木々の影が見て取れます。鳥たちの声があちこちに飛び交い、日の出が真近だと話しています。
そして、ボートの一日が始まりました。朝食はイングリッシュ・ブレックファースト。大きなカップに濃く入れた紅茶のミルクティー、ハムやベーコンに野菜たっぷりの黒パンのサンドイッチ、味の濃厚なヨーグルト、それにジュースと果物が加わって、朝から胃が驚く食卓です。一般にイギリス料理にはうまいものがないといわれますが、素朴な家庭料理には味わい深いものがあります。
船外に出ますと、肌寒く、一枚セーターを着込みました。船出までのわずかな時間を、運河に沿って歩いてみますと、水上からは見えづらかった木の実や草花が語りかけてくれます。ふと見上げますとカササギが樹上にとまっています。カササギはカラスの仲間です。日本では、1923年に国の天然記念物に指定され、佐賀県の県鳥として有名ですが、生息地が佐賀県を中心に北九州に限定されることから、秀吉が朝鮮に出兵したときに、佐賀藩主等が持ち帰り逃げ出したものが野生化したとの説が有力です。イギリスでは畑を荒らす害鳥として嫌われているそうです。
ボートは主に牧草地を進みますが、ときには街並み近くを通ることもあります。運河に沿って、裏庭を出ると直ぐに運河に出て、ボートに乗れる素敵な家が見られますが、この環境はボートを愛する人の垂涎の家でもあります。「For Sale (売り家)」 「Sold (売却済み)」に、ため息をつきながら通り過ぎます。
ボートでのもう一つの楽しみは、ボート仲間の挨拶です。笑顔があり、過ぎゆく時間を楽しんでいます。
「Good luck !」 「It's a fine day !」
花で飾り、服装もピシッと決めたボートがすれ違います。時には石炭や土産物を売っているボートが停まっています。いくつもの橋をくぐりますが、それぞれに趣のある姿をしています。
三日目はボートを降りて、車でウェールズへ出かけることになりました。チェスターから数十分走るとウェールズに入ります。ウェールズに入ると景観が変わってきます。道路の起伏が多くなり、遠方には山並みが霞んで見えます。
まず、目指すのはスランゴスレン (Llsngollen) 運河にある高架式のPontycysyllte運河橋です。渓谷を跨いで運河が走り、そこをゆっくりとボートが通ります。最近、インディ・ジョーンズのハリソン・フォードがボートで渡ったと話題になっています。
まだ、ボートにエンジンがなかった時代は、馬に曳かせて運河を行き来しました。その当時を再現し、観光ボートとして体験させてくれます。運河は流れがないので、ボートを曳くのにはそれほど苦労はなかったと聞いています。
イングランドからウェールズへは多くの観光客が訪れますが、それは山と渓谷を楽しむことがメインのようです。日本の風景によく似た景色に、安らぎを感じます。ひろびろとした平地は解放感があるものの、一方では単調な風景でもあります。山や海、川が織りなす自然の妙は私たち日本人の宝かもしれません。
異国の生活を垣間見ると私たちの生活の再発見があります。そんな運河とボートを経験した旅でした。(了)
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