【090-5/9話】甘草の故郷を訪ねて/黄河と別れシルクロードへ
銀川出発そしてエンジュの並木
「銀川」は寧夏ウイグル自治区の首都で、黄河が黄土高原の土砂に染まる前の最後の大府です。今回は銀川の街を見ることもなく、甘粛省「酒泉」に向かうことになりました。市内のあちらこちらに回教のモスク(中国語で清真寺)がられます。道は黄河の右岸に沿って上流へと向かっています。しばらく走ると道の両側に見事なエンジュの並木が現れました。マメ科の大木エンジュの花蕾は槐花といって、収斂、止血、鎮痛剤で各種の出血、高血圧、脳溢血、子宮炎、下痢などに用いられます。又、主要成分ルチンをとる原料生薬でもあります。
現在、この槐花をとる人がいません。Oさんが頼んだところ、本当に金になるのかどうか判らない、といって誰も見向きもしないそうです。
それでは、先にお金を払って頼めばと思うのですが、お金を与えると酒を飲んで働かないとか。本当でしょうか。Oさんが云います。「中国ですから。」 この並木は延々と30キロは続いたのです。
黄河と出会う
「青銅峡」を過ぎた頃から右に山脈が見えてきました。尾根に狼煙台が見えます。賀蘭山脈です。ゴビの平らな世界を見続けてきた目には、この低い山並みにも安らぎを覚えました。
この辺りは米の産地だそうです。脱穀を終えた後の藁を、軽トラックの高さや幅の二倍以上に積んで走っています。後ろから見ると大きな藁束が、ユタリユタリ歩いているように見えます。この藁は紙の原料として使われているそうです。
鉄路が見えます。ディーゼル機関車が50輌ほどの貨車を連ねてすれ違いました。今回の旅で初めて出会う列車です。 少しずつ山容が近づき、道はカーブを描きながら登ります。山肌がわずかに赤茶けて見えます。右はゴビ灘のテンゲル砂漠です。かなり上り詰めた眼下に黄河が見えました。渤海から3500キロ、眼下の黄河は、その川幅だけでなく、両岸を睥睨した風格においても、大河に恥じないだけのものを感じました。
八宝茶と千切り麺
黄河に別れを告げ、「中寧」で「蘭州」へ向かう道と分かれて「張掖」への道を行くことになります。
途中、「千糖」の回族料理店で昼食を摂る事になりました。いくつかの料理と麺を注文しました。麺は細長く伸ばしてから、手で細かく千切って湯に放り込む千切り麺です。
中国には本当に多種の麺があって興味深いものです。旅の食事もこの頃になると、Oさんの配慮で、少しは我々日本人の舌にあうよう香辛料の味付けを押さたものになってきました。
珍しい八宝茶が出てきました。茶葉に大棗、リンゴ、拘杞子などの果実が入っていて、それに砂糖を加えて頂きます。この地方のお茶と聞きました。疲れた身体には効果覿面です。
河西回廊
ゴビの雄大さもこれだけ続くと単調で退屈な風景にと変わってきます。今夜の宿泊地は「張掖」の予定でしたが、翌日からの行程を考えますと、無理しても「酒泉」まで行くことになりました。
「武威」に到着しました。此処からシルクロードの河西回廊に合流します。「西安」から「蘭州」「武威」「張掖」「酒泉」を経て「敦厚」に至る「絹の道」は、右にゴビを見て、左に4500メートル級の嶺を連ねる祁連山脈を眺め、その裾野を西へと延びています。
西方のゴビに陽が傾く頃、東に中秋の月が姿を現しました。秋の落日は中国でも釣瓶落としで、地平に沈む太陽をフィルムに残そうとシャッターを切りましたが間に合いませんでした。
新道の建設があちこちで行われています。部分開通のせいもあって、新道から旧道へ、旧道から新道へと、道を真っ直ぐには走れません。中には、新道が出来ているのに監視員がいて、通しません。5元出して通行許可を得ます。5元分の新道を少し切ない気分で走りました。賄賂の国…中国。エッと驚くこと、理解できないこと、「何故?」の質問に、Oさんが答えます。「中国ですから。」このフレーズは、その後頻繁に使われました。
石炭を積んだトラックが4台、道端で横転して燃えています。新道から村中を通る脇道に下りると、道路の真ん中に、老人と子供が座っています。Kさんが「出たー!」と叫びました。車を止めると、子供が寄ってきて片手を差し出しました。
パンク
「古粮」から「志門」へ。初めて鉄道の踏切を横切ります。しばらくは快適なドライブが続いていましたが、再び悪路が始まりました。凸凹の砂利道が続きます。と、その時突然、前を行く日産車が右に傾いて停まりました。右の後輪がパンクしたようです。この難路では当然の出来事と思われます。今までの道中でも、パンク修理のトラックが頻繁に見られまし、どこの街でも「汽車(日本の自動車)修理」の看板をやたら見かけました。修理の国、これも一つの中国なのでしょう。予備タイヤに取り替えて出発です。
「武威」でタイヤの修理を頼む間、晩餐にしました。後は闇の中を「酒泉」までぶっ飛ばしました。「酒泉賓館」に到着したのが深夜の3時、長い長い930キロの走行が終わりました。眠りに就いたのは午前4時を過ぎていました。(続)
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